2025年5月26日月曜日

小路を探そう③(完) ~白河七小路+”1”~

みなさん、こんにちは。まちブロです。
今回は、シリーズ企画「小路を探そう」の最終章をお届けします。

 それではさっそく、「北小路」からご紹介します。

石碑は、裁判所の東側、旧白河小峰城太鼓櫓との間にあります。
 このあたり一帯は、かつて小峰城の郭内(城などの囲いの内側)に位置し、武家屋敷が建ち並んでいました。
 「北小路」という名前は、その中に通っていた街路の北側に位置していたことが由来と考えられています。
 かつて、この周辺には、三郭四園(さんかくしえん)と呼ばれる庭園があったと伝えられており、これは、松平定信が築いたもので、広さは約14,000坪(東京ドームとほぼ同じ!)もあったそうです。
 タイムスリップできるなら、壮麗な小峰城と広大な三郭四園を、この目で見てみたいものですね。
 個人的には、このあたりに宝酒造の白河工場がありましたが、そこを母が運転する自転車に乗り(泣きながら乗っていたので"乗せられ"が正しいかもしれません)、幼稚園に通っていた景色が今でも印象に残っています。

 続いてご紹介するのが、最後のひとつ「鹿島小路」です。

 石碑は、白河中央中学校の北側、学校の敷地内にあります。
 「鹿島小路」は、鹿嶋神社方面へ通じる道として名付けられたと考えられています。
 まちなかから鹿嶋神社へ向かう際には、この道が一番の近道かもしれません。とはいえ、実際はなかなかの距離があります。
 それでも、この道が名前として残っているのは、鹿嶋神社が白河の人々にとって特別な存在だったことの表れかもしれませんね。
 そんな鹿嶋神社を舞台に今でも2年に1度開催される提灯まつり、これからも大切にしていきたいですね。(ヤー、ヤー、ヤー!)

 というわけで、小路を探そう①で2つ、②で3つ、今回の③で2つ。無事、白河七小路コンプリート!と思いきや…。
 実はもうひとつ、市立図書館の南側道路沿いに「玄仙小路」という石碑があります。
「玄仙小路」は『白河風土記』にもその名が記されており、まちブロとしても調査を試みましたが、その由来や背景はまだ謎のまま…。

 ということで、7つ+1で、まさかの白河小路に!?
 この不思議がいつか解明される日を楽しみにしつつ、「小路を探そう」シリーズ、足かけ3年かかりましたが、ひとまず完結です!

 みなさんも、歴史ある小路が今も色濃く残る白河のまちなかを、ぜひ散策してみてくださいね。
 まち歩きのお供には、ぜひこちらをどうぞ!

 
(まちづくり推進係 岩本
)