2026年1月5日月曜日

隠れパワースポット?松平定信が残した白河八天宮巡り

 新年明けましておめでとうございます。まちブロです。
 さて、令和8年のブログ書き初めとなる今回は、「白河八天宮」をテーマにお届けします。
 八天宮とは、八人の天狗をまつる防火を願うほこらのことで、白河藩主松平定信が寛政9年(1797年)に佐賀藩から火伏せのお札を受けたことが始まりとされています。当時は各町で祀られていましたが、現在は水天宮となっているものを含め、白河市内の8か所にその姿を残しています。
 今回は、それぞれの八天宮・水天宮が持つ特徴や、時代を超えて街を守り続けてきた歴史を巡ります。

 まずは、「桜町水天宮」からご紹介します。

 こちらは、大谷菓子店さんから左に折れる旧道の坂の途中、左手にあります。何度かの移転を経て、昭和9年(1934年)に現在の場所に移されました。正面に大きく彫られた「町内安全」の文字が特徴的で、古くから町を守る上で大切にされていたことが伝わってきます。
 
 次は、「鍛冶町八天宮」です。

 こちらは、白河第三小学校校庭の北側にあります。ほこらの向かって左側には、桜町水天宮と同様に「町内安全」の文字に加え、発起人として9人の名前が丁寧に彫られており、地域の人々の深い信仰と歴史の重みを感じさせられます。またこちらでは、神札と柚子の供え物が印象的でした。
 
 続いては、「年貢町水天宮」です。

 こちらは、龍蔵寺の参道に入ってすぐの右側にあり、当初は別の場所にあったそうですが、のちに現在の場所に移転されました。また、ほこらの写真奥の土地には建物がありましたが、最近になって新しい駐車場が整備されました。まちの様子が変わっても、その土地を静かに守り続けています。右側にある灯篭の存在感も相まって、そのような貫録を感じました。
 
 続いては、「南町八天宮」です。

 こちらは、谷津田川にかかる円明寺橋のたもと、焼肉ふくみさんの南側にあり、平成24年(2012年)に現在の場所に移されました。ほこらの左側には明治32年(1899年)と記されており、今から遡ること127年前!ほこらが置かれた当時を知る方はもうご存命ではないと思いますが、これからも次の世代にこの歴史を引き継いでいきたいと感じますね。
 
 続いては、「金屋町水天宮」です。

 こちらは、乙姫桜で有名な妙関寺の境内(本堂東側、谷津田川側の低い墓地)に鎮座しています。元々は金屋町から巡り矢を経て、現在の妙関寺に移されました。ちなみに、各家のお墓に挟まれた場所に位置しており、八天宮の8つの中で一番探すのに苦労しました。お参り中の方もいらっしゃいますので、くれぐれもお静かに探してみてください。
 
 続いては、「道場町八天宮」です。

 こちらは、小峰寺境内(本堂南側)にあり、元は道場町と道場小路の角にあったものがこの場所に移されました。天保10年(1839年)の銘があり、今回私が確認できた中では最も古いもので、ほこらの裏側に記された文字も解読が困難な状況でした。歴史の重みがひしひしと伝わってきます。
 
 続いては、「中町八天宮」です。

 こちらは、野村屋さんの向かい側にありますが、元は白河信用金庫本店付近にあったものが、店舗の建て替えによりここに移されました。町名の由来看板が目印で、通りからも目立つ場所にあるので、ピンとくる読者の方も多いのではないでしょうか。
 
 ついに最後が、「本町八天宮」です。

 こちらは、長寿院境内(白河役陣亡諸士碑の奥、本町の通りから入って右側)にあり、元はマイタウン白河周辺にあったものを移したものです。ほこらの台座が立派で、前方の鳥居、後方の大木とともに荘厳な雰囲気が感じられました。

 以上、八天宮が5か所、水天宮が3か所で、白河八天宮のご紹介でした。
 「水天宮」といえば、東京・中央区の有名な水天宮は安産祈願のご利益で知られていますが、ここ白河市では防火を願い、地域の安全を守る存在となっています。
 これまで長い間、大切にされてきたこれらのほこらを後世に引き継ぎつつ、私たちの暮らしのそばにある小さな歴史や物語に目を向けるきっかけにしていきたいですね。
 
(まちづくり推進係 岩本)

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